2005.09 No.417 コラム
 
プレミアムステージ 〜名作の舞台を訪ねて〜

 

『証城寺の狸囃子』の風景

……證誠寺〈木更津市〉

 

 秋、月の美しい静かな夜は、狸の腹鼓でも聞こえてこないものかと耳を澄ましてみたくなる。

 大正末期に発表され昭和初期に大ヒットした童謡『証城寺(しょうじょうじ)の狸囃子(たぬきばやし)』は、今日もそのユーモラスな詞と小気味よいリズムで多くの人に親しまれている。この歌詞にある証城寺とは、木更津市に実在する證誠寺(しょうじょうじ)のこと、開基が17世紀中頃と伝えられる浄土真宗本願寺派の由緒あるお寺である。

 「證誠院のペンペコペン、おいらの友だちゃドンドコドン」、大小100匹あまりの狸と住職がこう繰り返し歌いながら、中秋の名月に照らされた萩の花が咲き乱れる境内で三晩、一緒に楽しく踊った。ところが4日目の夜には、住職が待っていたのに狸たちは現れなかった。翌日になって住職が本堂の周りを調べてみると、お囃子のリーダーをしていた大狸が腹鼓の叩きすぎでお腹の皮が破れ、死んでいた。それで住職は、大狸を哀れに思い丁重に弔ったという。

 證誠寺には江戸時代から、このような狸囃子伝説が語り継がれていた。それが大正時代になって、木更津に講演のため訪れた野口雨情がこの伝説を耳にして作詞し、中山晋平が曲を付け、『証城寺の狸囃子』が生まれたのだった。

 さて、この狸囃子、童謡の方では狸と和尚さんが織りなす愉快なお話といった趣だが、伝説の方はと言うと、もう少し深い意味が込められているようだ。

 現在、證誠寺はJR木更津駅から徒歩10分あまりの市街地にあるが、開基の頃この辺りは樹木が鬱蒼と繁り昼なお薄暗く、いかにも狸でも出そうな所だったといわれている。また、浄土真宗の寺院では古来より大きな法要に雅楽の演奏が行われているが、證誠寺もその例に漏れず、江戸時代中期には五昼夜連続の盛大な音楽法要も開催されたことが寺の記録に残っている。そうしたことを背景に、この伝説が生まれたと考えるのは容易だ。だが證誠寺・前住職の隆克朗(たかしかつあき)さんは、さらに想像力を膨らませ「伝説に登場する狸とは、門徒、つまり人間のことだとも考えられますね。仏の慈悲を知った衆生が、住職とその歓びを分かち合っている姿が狸囃子じゃないでしょうか」と語る。

 一切を阿弥陀如来に任せ念仏を唱えることで、誰もが平等で在家のままでも往生できると説いた浄土真宗の開祖・親鸞聖人の教えの特質は、自身が僧でありながら肉食妻帯を実践したことで知られるように、それまでの仏教にみられた、聖なる僧と俗なる庶民という区別を否定したところにあると言えよう。

  聖俗の隔てなく、庶民と和尚さんが一緒に踊れる楽しいお寺のイメージ、それは確かに浄土真宗のお寺のあるべき姿を示しているように感じられる。
 
1956年に建てられた『証城寺の狸囃子』の童謡碑。